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東京地方裁判所 平成元年(行ウ)232号 判決

原告

中出栄子

右訴訟代理人弁護士

岡村親宜

古川景一

大森鋼三郎

橋本佳子

被告

右代表者法務大臣

梶山静六

右指定代理人

三代川俊一郎

外一名

被告兼被告中野労働基準監督署長承継人

新宿労働基準監督署長

島田裕

右指定代理人

滝沢武久

外二名

主文

一  承継前の被告中野労働基準監督署長が原告に対し、昭和五八年一二月二日及び昭和六〇年八月二一日付けでした労働者災害補償保険法による休業補償給付及び療養補償給付を支給しないとの各処分、昭和六一年一月二二日、昭和六一年一一月四日、昭和六二年六月二七日、昭和六三年二月一日及び昭和六三年八月二六日付けでした同法による療養補償給付を支給しないとの各処分、並びに、被告新宿労働基準監督署長が原告に対し、平成元年九月二五日付けでした同法による療養補償給付を支給しないとの各処分をすべて取り消す。

二  原告の被告国に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用のうち、原告と被告新宿労働基準監督署長との間で生じたものは同被告の負担とし、原告と被告国との間で生じたものは原告の負担とする。

事実

第一  当事者双方の申立て

一  請求の趣旨

1  主文第一項と同旨。

2  被告国は原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年八月二二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  第2項について仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行宣言を付する場合には、担保を条件とする免脱宣言を求める(被告国)。

第二  当事者双方の主張

一  請求の原因

《不支給処分の取消しについて》

1 原告は、昭和三九年四月、訴外株式会社三和銀行(以下「訴外銀行」という。)に雇用され、同銀行永福町支店に配属され、以来、普通預金係、約定振替係、当座預金係、出納係、外国為替係の各業務を担当してきた。

2 ところが、原告は、昭和四八年秋口から、肩、右腕の付け根に激痛を感じるようになり、頸肩腕障害と診断されて治療を受け、以後、業務に従事しながら治療を継続してきたが、昭和五四年五月一一日午後、仕事中に、吐き気、めまいと首筋の激痛を感じ、翌一二日以降出勤することが不可能となり、休業の止むなきに至った。そして、以後、規則的な運動療法と、鍼・灸療法を継続してきた。

3 原告は、昭和五五年七月一一日、承継前の被告中野労働基準監督署長(以下「中野労基署長」ともいう。)に対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による休業補償給付及び療養補償給付の請求を行ったところ、中野労基署長は、同年九月一二日付けで、原告の右傷病を業務上の疾病と認め、昭和五四年五月一六日以降について休業補償給付及び療養補償給付を支給してきた。

4 しかるところ、中野労基署長は、昭和五八年三月三〇日付けの「治ゆ認定について」と題する書面で、原告に対し、「貴殿の症状について調査した結果、症状は概ね固定し、今後治療を継続しても明らかな医療効果は期待できないものと認められますので、昭和五八年三月三一日をもって治ゆとし、その後の給付を行わないこととしましたので、通知いたします。」との治癒認定の通知を行い、右通知は、そのころ原告に到達した。

5 しかし、原告は、右時点では治癒しておらず、なお頸肩腕障害の状態にあって、引き続いて規則的な運動療法と鍼・灸の治療を継続したので、中野労基署長に対し、平成元年三月三一日以降は被告新宿労働基準監督署長(以下「新宿労基署長」ともいう。)に対し、それぞれ、労災保険法による休業補償給付及び療養補償給付(昭和五九年四月一日以降は療養補償給付のみ)を請求したところ、中野労基署長は、左記①ないし⑦記載の期間に係る請求について各記載の不支給処分の日付けをもって、また、新宿労基署長は、左記⑧⑨記載の期間に係る請求について各記載の不支給処分の日付けをもって、いずれも、昭和五八年三月三一日治癒を理由とする不支給処分を行った。

なお、平成元年三月三一日、労働省令第八号、労働基準監督機関令第七条の規定に基づき、労働基準法施行規則の一部(労働基準監督署の位置名称及び管轄区域)が改正されたことに伴い、中野労基署長がした不支給処分は、新宿労基署長がしたものとみなされることになった。

〈請求の期間〉 〈不支給処分の日付け〉

① 昭和五八年四月一日から

同五八年四月三〇日まで 同五八年一二月二日

② 昭和五八年五月一日から

同六〇年三月三一日まで 同六〇年八月二一日

③ 昭和六〇年四月一日から

同六〇年一二月三一日まで 同六一年一月二二日

④ 昭和六一年一月一日から

同六一年八月三一日まで 同六一年一一月四日

⑤ 昭和六一年九月一日から

同六二年五月三一日まで 同六二年六月二七日

⑥ 昭和六二年六月一日から

同六二年一二月三一日まで 同六三年二月一日

⑦ 昭和六三年一月一日から

同六三年七月三一日まで 同六三年八月二六日

⑧ 昭和六三年八月一日から

平成元年二月二八日まで 同元年九月二五日

⑨ 平成元年三月一日から

同元年八月三一日まで 同元年九月二五日

6 原告は、中野労基署長が治癒と認定した昭和五八年三月三一日当時においてはもとより、新宿労基署長が前項⑧⑨記載の不支給処分をした平成元年九月二五日当時においても、なお頸肩腕障害で苦しんでおり、治癒はしていなかったから、前項記載の各不支給処分は、事実の認定を誤った違法なものであり、いずれも、取消しを免れない。

右の治癒認定及び不支給処分が違法なものであることは、次の事実によって明らかである。

(一) 原告は、昭和五四年五月に頸肩腕障害の重篤な症状が発生して休業し、以来、川崎医療生活協同組合大師病院(以下「大師病院」という。)の主治医である橋本卓(以下「橋本医師」という。)のもとで、長期間にわたり、規則的な運動療法と鍼・灸の治療を継続した結果、昭和五九年四月から職場復帰の通勤訓練を開始し、昭和六〇年四月からは、変則的ではあるが通常勤務に就労することができるようになり、平成元年四月に至って、漸く、完全な通常勤務に復帰することができるようになった。

(二) 右のように、原告の疾病は、極めて長期の療養を要する難治性のものとなったが、それは、次の三つの要因が相互に重なり合ったためである。すなわち、第一に、原告の勤務内容が長期間にわたって過重であったことであり、第二に、原告の症状が発生する一二年も前の昭和四二年五月から、肩、腕、肘の痛みを覚える等の症状があったにもかかわらず、事業主が健康管理上の必要な措置を講じなかったことであり、第三に、職場そのものが、原告のように、女子従業員が長期間勤務を継続することを前提とした労務管理、健康管理体制が採られていなかったことである。

(三) 日本産業衛生学会は、頸肩腕障害について、次のような病像分類をしている。この分類は、頸肩腕患者の症状の程度を判定する医学会で承認された唯一の基準である。

「Ⅰ度 必ずしも頸肩腕に限定されない自覚症状が主で、顕著な他覚的所見が認められないもの。

Ⅱ度 Ⅰ度の症状に加え、筋硬結、筋圧痛等の所見が加わる。

Ⅲ度 Ⅱ度の症状に加え、筋の腫脹、熱感、筋硬結、筋圧痛などの増強又は範囲の拡大、神経テストの陽性、知覚異常、筋力低下の症状が加わる。

Ⅳ度 Ⅲ度の所見がほぼ出揃い、手指の変色、腫脹、極度の筋力低下なども出現する。

Ⅴ度 頸腕などの高度の運動制限及び強度の集中困難、情緒不安定、思考判断力の低下、睡眠障害などが加わる。」

右の病像分類と原告の休業以来の症状との対応関係は、以下のとおりである。

(1) 昭和五四年五月から昭和五七年一〇月まで Ⅴ度。

原告が休業に入った直後の時期で、症状の最も重い時期である。当時の症状は、首、肩、背の筋肉が高度の緊張、硬結状態で、腫れがあり、激しい痛みと共に発熱を伴った。特に、頸部の運動制限は著しく、首に棒が入っているようで、横を向くことさえ不可能であった。夜は、背中の痛みで仰臥ができず、寝返りもできず、頭痛、不眠、耳鳴り、手足の痺れに苦しんだ。

検査結果も、背筋力が相当低い状態であり、握力も低い状態であった。生活面では、食事は当初は流動食しか受け付けず、外気に体が敏感に反応し、夏でも一日中閉め切りで過ごした。包丁、洗濯バサミの使用や洗髪などもできず、最低の日常生活も不可能な状態であった。

原告は、右の間、橋本医師の指示により、週二、三回の間隔で鍼・灸の治療を継続して受けてきたが、治療の効果も明白には現れず、現れたとしても短時間で継続しなかった。また、症状は不安定で、何かやろうとするとすぐ悪化し、運動療法や機能訓練などは、体への負担が大きく、不可能であった。

(2) 昭和五七年一一月から昭和五九年三月まで Ⅳ度。

昭和五七年一一月ころからは、背腰部の痛みは残るものの、筋肉の緊張、硬結の程度が軽くなり、首の痛みも減少し、頸部の運動制限も緩和され、従前のような急性症状は次第になくなった。食事、洗髪、洗濯等の最低の日常生活もできるようになった。

そして、橋本医師は、中野労基署長に提出した昭和五八年一月一一日付け意見書で、「原告の症状はなお改善を期待できる」として、次のとおり診断した。

「①主訴 頸、肩、背、腰部のこり、倦怠感、疼痛。

② 他覚所見 頸、肩、背、腰部の筋緊張、硬結。

③ 症状の経過 症状はなおかなり不安定であるが、全体として改善されつつある。

④ 運動機能障害の内容 運動機能障害は認められない。

⑤ 今まで行ってきた治療の内容及びその効果 運動療法を主とし、月九ないし一二回の鍼・灸治療を行っている。

⑥ 鍼・灸施術を今後三か月継続して期待できる効果 諸症状の改善が期待できるが、鍼・灸治療により、なお一層の効果が期待できる。」

ところが、中野労基署長は、右意見書提出の約二か月後である昭和五八年三月三一日をもって治癒と認定したが、当時の原告は、発病当時の急性症状が漸くなくなり、鍼・灸の治療に加えて、ストレッチ体操を中心とする体操療法に向かい始めていた時期で、頸部、背の痛みが依然として継続しており、未だ頸肩腕障害の重い症状に苦しんでいた。他覚所見も、筋硬結の状況が相当残っており、検査結果も、背筋力や握力が未だ相当に低い状態であった。

そして、治癒認定、労災保険の打ち切りによって、原告は、精神的に大きな不安に襲われ、一時的に症状は悪化したが、当時の症状から治療を停止することはできず、橋本医師の指導で、従前と同様の鍼・灸治療のほか、散歩、ジョギング、ストレッチ体操を中心とした運動療法による機能調整に励み、昭和五八年一一月には水泳訓練も開始した。その結果、昭和五八年九月ないし一一月ころにかけて、それまで根深く残っていた腰痛も漸く緩和し、外出した時の負担も軽減した。生活面では、部屋では毛の帽子を着用するという状態であったが、縫い物やアイロンかけが可能になり、自覚症状及び他覚所見も一定程度改善され、体力的にもかなりの改善が見られ、同年一二月には、通勤訓練を開始するまでに回復した。この通勤訓練は、当初、週二日、一日一時間(当初は一〇分ないし一五分)ずつ、当時の勤務先である訴外銀行永福町支店に通い、ロビーにおいて店内の雰囲気、騒音に慣れるというものであり、その後、昭和五九年一二月から、通勤は週三回となった。この時期は、長時間の休業後の職場に戻る原告にとって重要な段階であるため、橋本医師の治療を月に数回集中して継続的に受け、その指示に従って、鍼・灸治療及びストレッチ体操、水泳等の運動療法を継続した。

なお、原告は、昭和五九年三月末、訴外銀行で健康診断を受けたが、その結果は、健康管理区分B1の(3)、すなわち、三か月ごとに健康状態をチェックしていく必要があるというもので、訴外銀行の医師自身が、原告の症状は当時未だ治癒していないことを認めたものであった。

(3) 昭和五九年四月から昭和六一年三月まで Ⅲ度。

原告は、通勤訓練を経て、昭和五九年四月には、永福町支店から東京営業部に配置換えになると共に、職場復帰訓練を開始するまでに回復した。この訓練は、職場でリハビリのため就労し、体を勤務に適応させていくもので、橋本医師の指示により、週三回、一日二時間ずつ訓練することから始めた。当初は、連続一時間の作業訓練がやっとで、体がきつくなったら仕事から離れて休憩し、ストレッチ体操等をして筋肉をほぐし、再び訓練に入るという状態であった。そして、症状の回復に応じて、その時間及び日数を増やしていった。原告は、カルテによって明らかなとおり、自覚症状も、「いつも痛い」に代わって「時々痛い」が増えてきており、他覚所見が認められる部位も次第に減少している。原告は、この間も、鍼・灸のほか、ストレッチ体操、水泳などの運動療法を継続し、特に昭和五九年夏以降は、山歩き、サイクリング、スキーなども行うようになった。

なお、昭和六〇年四月には、訴外銀行から「通常勤務扱い」にする旨の申入れを受け、原告としては、未だ体の痛みもあり、リハビリ勤務も、鍼・灸や運動療法をすることによって漸く継続できる状態であったので、不服ではあったが、止むを得ずこれに応じた。

(4) 昭和六一年四月から昭和六三年一一月まで Ⅱ度。

原告は、昭和六一年四月以降は、次第に勤務時間を延長し、同年七月には、一週間連続勤務体制、同年一〇月二三日からはフルタイム体制で就労するに至った。そして、同僚のうちの一人が休んだときでも、欠勤することなく勤務を続けることができるまでに回復はしたが、未だ治癒してはおらず、月一回の橋本医師の診療と週二回の鍼・灸及び運動療法を基本的な治療として継続した。すなわち、原告は、八分から九分どおり回復はしたが、鍼・灸や運動療法などの治療なしに通常の勤務ができる状態ではなかった。

なお、原告は、昭和六一年一一月一二日、訴外銀行における健康診断の結果、健康管理区分B1の(6)に変更されている。すなわち、従前三か月ごとであった健康管理のためのチェックを六か月ごとに行うことと変更されたものである。このことは、訴外銀行における健康診断においても、昭和五九年一一月当時に比べて確実に健康を回復していることを示すと共に、未だ治癒していないことを証明しているものである。

(5) 昭和六三年一二月から平成元年一二月の治癒まで。

昭和六三年九月までは、毎週二回(月・木曜日)定期的に鍼・灸治療のために早退していたが、同年一〇月をすぎると、それまでのように週二回定期的に治療のために早退することはなくなり、平成元年四月からは治療のために早退することがない「完全就労」をすることができるようになった。しかし、勤務時間後の週二回の右治療は、その間も続けられていたが、平成元年四月ころからは、週二回の治療に行かなくても耐えられるようになり、同年八月以降は、月五回、四回、三回と明らかにその回数が減少していき、このような経過を経て、平成元年一二月一二日、主治医である橋本医師は、同日をもって治癒の診断を下した。

7 ところで、労災保険法上の「治癒」といえるためには、①症状が自然的経過によって到達すると認められる最終の状態(症状の固定)に到達し、かつ、②当該労働者が職場復帰の可能な状態まで健康を回復し、③リハビリ医療を含む治療の必要性がなくなったことが必要であって、このことは、労働者災害補償制度の趣旨に照らして疑いの余地がないから、中野労基署長が治癒認定をした時点で原告の症状が右の状態に達していなかったことは、余りにも明らかである。

中野労基署長は、治癒認定に当たり、原告の症状につき直接に鑑別診断を行うこともせず、合理的根拠のない「労災保険における『はり・きゅう及びマッサージの施術に係る保険給付の取扱いについて』と題する通達(昭和五七年五月三一日付け基発第三七五号)及び同通達の事務連絡第三〇号を形式的に原告に適用し、事実の認定を誤ったものというほかはない。

8 なお、中野労基署長が治癒認定を行うに際して検討を依頼したという東京地方労災医員会議については、五名の構成員の中に、頸肩腕障害についての治療経験、とりわけ、原告のような症状Ⅴ度の難治性頸肩腕障害の治療経験を有する者がなく、治癒の医学判断をする適格性がない上、右判断の基礎となった資料も、中野労基署長が作成した個人別判定表のみで、原告の直接の診療はもとより、診療の開始から判定時までの症状の推移等も全く検討されておらず、加えて、会議においては、約四時間の間に二〇〇名以上を処理するという状態で、対象者についての個別の医学的判定もされていない。

したがって、右地方労災医員会議が治癒判断をすることは不可能であって、この判断に基づいてされた中野労基署長の治癒認定が違法であることを免れることはできない。

9 よって、原告は、被告新宿労働基準監督署長に対し、中野労基署長及び新宿労基署長がした各不支給処分の取消しを求める。

《損害賠償の請求について》

1 中野労基署長が昭和五八年三月三一日をもってした治癒認定並びに同年一二月二日及び昭和六〇年八月二一日付けでした各不支給処分は、前述したところから明らかなとおり、いずれも、故意又は過失により事実の認定を誤って行った違法なものであり、不法行為を構成するから、被告国は、国家賠償法一条により、原告が受けた後記損害を賠償すべき責任がある。

2 原告は、中野労基署長の右治癒認定及び各不支給処分によって、次の損害を被った。

(一) 訴外銀行からの休業補償不支給に係る損害

(1) 訴外銀行の災害補償規定

原告は、昭和三九年以降現在に至るまで、訴外銀行と労働契約を締結しているが、同銀行には就業規則たる災害補償規定があり、職員が業務上疾病に罹った場合に同銀行が職員に対して行う補償について、次のとおり定めている。

① 公傷休暇期間中及び公傷休職中は、一日につき補償算定基礎日額に相当する額を休業補償金として支給する(七条)。

右補償算定基礎日額は、次のイ、ロの合計額とする(一二条)。

イ 算定すべき事由の発生した日以前三か月間に当該職員に対して支給された給与相当額を、その期間の総日数で除した金額。

ロ 算定すべき事由の発生した直前の賞与の一八〇分の一相当額。

② 同規定により補償を受けるべき者が、同一の事由につき労災保険法によって災害補償に相当する給付を受けることができる場合には、その受ける給付の限度で同規定による補償が免責される(一五条)。

③ この規定に定めるもののほかは、労働基準法及びその他法令の定めるところによる(一五条)。

(2) 訴外銀行による休業補償の支給

① 訴外銀行は、原告が昭和五五年九月一二日付けで中野労基署長より業務上災害の認定を受けたので、原告に対し、発病時の昭和五四年五月一二日に遡って災害補償規定に基づく休業補償の支払いを行うことを決定し、昭和五五年一一月二〇日以降毎月二〇日に休業補償の支払いを行うようになり、昭和五五年一二月八日には、過去分について既払い賃金等との差額たる八三万六七七五円の支払いをした。

② 訴外銀行は、原告に対し休業補償を支給するに当たり、先ず中野労基署長から支給される休業補償給付及び休業特別支給金について、原告に代わってこれを受領して自己の経理に入れ、その上で、原告に対し災害補償規定に基づく休業補償の全額を支払っていた。

③ 訴外銀行が原告に対して支給した休業補償の補償算定日額は八五五〇円であり、これに各支給日前の締切日までの日数を乗じた額を原告に支給していた。

(3) 休業補償の打ち切り

原告は、中野労基署長より、昭和五八年三月三〇日付けで、同月三一日をもって治癒とし以後の給付を行わない旨の治癒認定を受けたが、実際には、更に療養を継続するために、昭和五九年三月三一日まで休業せざるを得なかった。

しかるに、訴外銀行は、原告に対する休業補償の支給を昭和五八年三月三一日までで打ち切り、その翌日から昭和五九年三月三一日までの期間について休業補償の支給を拒絶するに至った。

(4) 因果関係

訴外銀行は、中野労基署長が治癒認定をしたことを理由にして、休業補償の支給の打ち切りを行ったもので、右処分がなければ、原告は、休業補償の支給を昭和五八年四月以降も継続して受けることができたものであり、中野労基署長がした治癒認定と休業補償の受領不能による損害との間には相当因果関係がある。

(5) 損害額

① 原告は、中野労基署長が治癒認定と不支給処分をしなければ、訴外銀行の災害補償規定により、休業期間中一日当たり八五五〇円の休業補償を受けることができ、また、原告が労災保険法に基づき保険給付を受けているのであれば、同法による給付基礎日額たる五九四九円の六割に相当する休業補償給付とこれの二割に相当する休業特別支給金の給付を受けることができるので、訴外銀行は、この額の限度で休業補償の支払いを免れる。

そして、原告は、不支給処分の取消しを主文とする判決を得ることにより、休業期間中につき、被告国より給付基礎日額たる五九四九円の八割に相当する金員の給付を得ることができるが、訴外銀行からは災害補償規定による休業補償を受けられず、差し引き日額三七九〇円の損害を被ったことになる。

(計算式)

8,550−5,949×0.8=3,790(一円未満切捨て)

② 原告は、本件疾病により休業せざるを得なかったにもかかわらず、中野労基署長が治癒認定をしたために、訴外銀行から休業補償を受けることができなかったが、その期間は、昭和五八年四月一日から昭和五九年三月三一日までの三六六日間であり、したがって、合計一三八万七一四〇円の損害を被った。

(計算式)

3,790×366=1,387,140

(二) リハビリ勤務期間中の不利益取扱い相当損害

(1) 原告のリハビリ勤務

原告は、昭和五九年四月一日から就労を開始したが、通常の健康人の場合とは異なり、所定労働時間のすべてを就労するものではなく、その一部しか就労することができなかった。この一部就労は、原告が従前の労働に復帰するためのリハビリテーション訓練を目的とするもので、橋本医師の指導のもとで行われ、そのため、就労時間は、原告の健康状態の推移等を勘案しながら、順次延ばされていった。

労働者がリハビリ勤務のため所定労働時間の一部分のみしか就労できない場合、この期間を全部就労扱いして賃金を支払うことにするか、全部休業扱いして休業補償をするか、それとも、一部賃金・一部休業補償とするかは、各事業主と労働者の協議により決定されているのが実情であり、訴外銀行においても、リハビリ勤務について、個々の事案ごとに仮出勤規定を適用して賃金を支払ったり、休業扱いして休業補償を支払ったりしており、統一的な運用はされていない。

訴外銀行においては、前記の災害補償規定により、業務上疾病による休業期間中、従前の賃金・賞与の一〇〇パーセントに相当する休業補償が支給されることになっていたのであるから、業務上疾病の治療のためにリハビリ勤務を行う場合、その期間中を全部休業扱いしても或いは全部就労扱いしても、被災労働者は、賃金・賞与につき全額が補償され何らの不利益もないはずであった。

(2) 訴外銀行による賞与の減額査定

① 訴外銀行の賞与(訴外銀行での呼称は「臨給」)支給額決定の方法は、本俸と資格手当の合計額たる基本給を算定基礎とし、賞与の額は、基本給に臨給支給率を乗じて算出され、臨給支給率は、労使協議により決定される。

すなわち、労使協議により、全労働者に対する平均支給率が決定され、これにより全労働者に対する支給総額が決まり、その上で、訴外銀行は、各労働者に対する査定を行い、各労働者ごとに支給率を決定する。

したがって、平均的査定を受けた労働者には、労使合意の平均的支給率により賞与が支払われる。

② しかるに、訴外銀行は、昭和五九年四月一日以降現在に至るまで、賞与支給に当たり、原告に対し平均支給率を大幅に下回る支給率での賞与しか支給していない。

③ 訴外銀行が、原告に対する賞与を減額査定しているのは、中野労基署長が行った違法な治癒認定によるものである。

すなわち、中野労基署長の行った治癒認定により、原告の疾病については治療効果がなく療養の必要もないとされたため、訴外銀行は、原告のリハビリ勤務について業務上疾病の治療の一環であることを認めず、所定労働時間の一部しか就労できないのは私病によるものとして扱い、賞与査定に当たり不利益取扱いを行ったのである。

中野労基署長が、違法な治癒認定を行わなければ、訴外銀行は、原告がリハビリ勤務で所定労働時間の一部しか就労できないことについて、業務上疾病の治療のためという正当事由によるものであることを認め、賞与支給率査定での不利益取扱いをしなかったことが明らかである。

したがって、原告が訴外銀行から賞与を平均支給率を下回る額でしか支給されなかったのは、中野労基署長の違法な治癒認定によるものであり、それによって、原告は減額された賞与額相当の損害を被ったことになる。

(3) 損害額

昭和五九年六月以降毎年六月と一二月の時点における原告の本俸・資格手当・基本給合計額及び昭和五九年六月分以降労使協議により妥結した臨給平均支給率は、別紙(1)「賞与(臨給)減額明細書」(以下「明細書」という。)の各欄に記載されたとおりである。

そして、原告が、賞与の査定に当たり、平均的査定を受け、平均支給率をもって賞与の支給を受けることができたなら、明細書E欄の額の支給を受けたはずであるところ、原告は、昭和五九年六月には、賞与の支給を全く受けておらず、それ以降も、原告が支給を受けた賞与の額は、明細書F欄記載の額に過ぎない。

したがって、昭和五九年六月から昭和六二年一二月までの期間、原告は、明細書G欄の額の損害を被ったことになり、その合計は二八八万五〇〇〇円となる。

(三) 以上のとおり、原告は、中野労基署長の違法な治癒認定と不支給処分により合計四二七万二一四〇円の損害を受けたが、その賠償として内金四〇〇万円の支払いを求める。

(四) 弁護士費用

原告は、中野労基署長が昭和五八年一二月二日及び昭和六〇年八月二一日付けでした各不支給処分の取消しと右損害の賠償を請求するため、本件訴訟の遂行を原告の訴訟代理人らに委任したが、このための弁護士費用のうち一〇〇万円は、中野労基署長の不法行為と相当因果関係にある損害に当たる。

3 よって、原告は被告国に対し、不法行為による損害賠償として金五〇〇万円及びこれに対する不法行為後の昭和六〇年八月二二日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求の原因に対する被告らの認否

《不支給処分の取消しについて》

1 請求の原因1は認める。

2 同2のうち、原告が、頸肩腕障害と診断され療養していたこと、昭和五四年五月一二日から休業するに至ったことを認め、その余は不知。

3 同3、4は、いずれも認める。

4 同5は、原告の休業補償給付ないし療養補償給付の請求に対し、中野労基署長又は新宿労基署長が、いずれも、昭和五八年三月三一日治癒を理由として各不支給処分を行ったこと及び平成元年三月三一日における労働基準法施行規制の一部改正を認め、その余は不知ないし否認する。

5 同6のうち、(三)(2)の橋本医師の意見書に関する部分は認めるが、その余は不知ないし否認し、主張は争う。

6 同7ないし9は、いずれも争う。

《損害賠償の請求について》

1 同1は争う。

2 同2は不知、主張は争う。

3 同3は争う。

三  被告らの主張

1  中野労基署長は、昭和五五年九月一二日、原告の傷病を業務上の疾病と認め、以後、原告主張のとおり、昭和五八年三月三一日までの継続した期間について、それぞれ、療養補償給付及び休業補償給付を支給してきた。

2  この間、中野労基署長は、療養開始後一年六か月を経過した時点で、原告に対し、労災保険法施行規則一八条の二第二項による「傷病の状態等に関する届書」の提出を求めたが、原告は、所定の期間内に右届書を提出しなかった。

また、中野労基署長は、昭和五七年一月一六日に、同規則一九条の二による「傷病の状態等に関する報告書」の提出を求めたが、所定期間内に提出されなかったので、原告の傷病の状態を把握することができなかった。そこで、中野労基署長は、原告に対する同年二月一日から同月末日までの休業補償給付についての支給決定を一時保留した。その後、中野労基署長の督促を受けた原告が、同年六月二一日に至って右報告書を提出したので、支給決定の保留は解除されたが、右報告書に添付された橋本医師の診断書は、極めて具体性を欠くものであった。

3  そこで、中野労基署長は、原告に対する療養補償給付及び休業補償給付の支給を継続するには、傷病の状態を慎重に検討する必要があると認め、主治医である橋本医師及び原告に鍼・灸の施術をしている小室彰夫の各意見書の提出を求めた上、昭和五七年一〇月以前一か年間の療養補償給付の費用請求書及びレセプト並びに橋本医師の前記診断書等を総合的に検討した結果、原告の傷病は治癒(固定)しているとの判断に達した。

原告の傷病が治癒していることは、別紙(2)及び別紙(3)に記載した発症から昭和六〇年までの治療内容及び医師の診断等によって明らかであって(別紙(2)は発症から治癒認定まで、別紙(3)はその後の経過である。)、右治癒認定時には、原告の症状には著変がなく、その治療方法もほぼ定型化され、治療回数も極めて少なく、いわゆる漫然たる治療の繰り返しが行われていたに止まる。すなわち、

(一) 原告は、昭和五四年五月二九日以来、橋本医師のもとで治療を継続してきたものであるが、月に数回の治療を受けたのは、当初の昭和五四年八月ころまでの四か月ほどであり、同年九月から月に二回となり、その後、同年一〇月から昭和五七年三月まで約二年半にわたり、月に一回の受診に止まっている。その後は、治癒認定までの間に、月に二回ないし四回程度に受診回数が増え、治癒認定後は更に受診回数が増えているが、昭和六〇年四月からは再び月に一回となっている。

(二) この間の診断を見ると、発症当初、勤務先の診療所等で、一週間ないし一〇日間の安静加療を要するものと認められ、昭和五四年五月及び同年七月の段階で、橋本医師等から、それぞれ、一か月の安静加療を要すると診断されたものの、その後は、橋本医師から、二、三か月に一度ずつ、機械的に、今後二ないし三か月の休業を要する旨の診断書が更新されてきた。

(三) また、治療内容は、昭和五四年五月から同年一〇月までは、ホットパック、マッサージ及び鍼・灸施術を中心とした鎮痛効果を目的とする対症療法、保存療法に終始し、その後、昭和五六年八月まで、約三か月に一度の割合で筋力テスト、CMI、指尖脈波、レントゲン検査等の検査を行い、月に一度の割合で特診を受けているが、その内容は、時折、体操の指示がされるだけで、投薬もなく、専ら、鍼・灸施術に依存した鎮痛効果を目的とする療養であった。

なお、昭和五六年九月から、体質改善を目的として、漢方薬の投与を受け始めたが、治療内容は、従前と変わらず、月にほぼ一度の特診時に、消炎・鎮痛を目的とする理学療法が採られ、約三か月に一度、前同様の検査を受けるかたわら、継続的に鍼・灸施術が行われてきた。この間、昭和五七年九月から、処方が漢方薬から西洋医薬に変えられ、精神安定剤、睡眠薬が投与されるようになり、同年末から、運動療法、機能訓練も行われるようになった。

(四) 次に、昭和五七年七月から同年一一月までの鍼・灸施術による原告の症状は、小室彰夫の意見書に添付されている症状経過表によると、初療時に比して幾らか症状の改善があったことは認められるが、施術直後の効果については、効果があったと認められる日と変化がないとする日とがほぼ同数であり、しかも、効果があったとされる日でも、その持続効果については、施術後二ないし三時間から半日に過ぎない。

(五) 昭和五七年六月二一日に提出された橋本医師の診断書によると、他覚所見として「筋緊張、硬結、圧痛(+)」とあるのみで、具体性に欠けており、また、療養補償給付の費用請求書に記載された「傷病経過の概要」にも、「加療により症状徐々に軽減するも、引き続き加療を要す。尚、鍼・灸治療に同意する。」旨の記載があるに止まり、一年間ほぼ同様の傷病経過を辿っている。要するに、原告の治療は、他覚所見及び検査結果の裏付けがなく、専ら、自覚症状を重視して、長期間にわたって漫然と続けられてきたのである。

(六) 昭和五八年四月からは、中野労基署長が治癒認定をしたことに伴い、健康保険による治療が継続されたが、精神安定剤、漢方薬の投与と理学療法及び鍼・灸施術が中心で、その後、運動療法、機能訓練が継続的に行われ、昭和五九年一月から通勤訓練を、同年四月から制限的な出勤訓練を開始し、昭和六〇年から通常勤務を行うようになった。右の治癒認定後、昭和五九年末まで通院回数は一時的に増えているが、これは、同時期に不定愁訴が増加し、腹部の異常、風邪、頭痛、動悸等を訴え、悪性腫瘍、胆のう炎等が疑われたためと、鍼・灸の施術を橋本医師のもとで行うようになったためである。

4  更に、中野労基署長は、前項の治癒判断が医学的にも認容されるものであるか否かについて、昭和五八年二月七日開催の東京地方労災医員会議(これは、東京労働基準監督署長が委嘱した五名の地方労災医員をもって構成されるもので、東京医科大学名誉教授野崎寛三がその座長を勤めている。)に検討を依頼したところ、同会議は、次の理由から、原告の傷病は「症状固定と認められるが、主治医の意見があるので、昭和五八年三月三一日までの治療を容認する。」との判定をした。

① 約一年間にわたり診察の事実が少なく、治療の有意性に乏しい。

② 約一年間の診療の内容がほぼ同様の治療方法の繰り返しであり、治療効果があるものとは認められない。

③ 約一年間の治療が鍼・灸を主体とするものであり、後遺症状に対する対症的治療に終始しているものと認められる。

右の判定は、中野労基署長から事前に配布された各種の資料を検討した結果として行われたもので、原告が昭和五七年一〇月から過去一年間に受けた医師の診療が一七回で、月平均1.4回に過ぎず、最低でも月に二、三回は必要と思われる治療を受けていないこと、この間の治療内容も、理学療法と投薬及び鍼・灸だけで、殆ど内容に変化がないこと、特殊な療法が採られておらず、投薬も体質改善が主目的と解されたこと、レセプトに見られる傷病の経過の概要も一年間全く同一の記載であり、治療の効果はないと認めざるを得なかったこと、主な治療は、鍼・灸による痛みの緩和だけで、後遺症に対する対症療法に終始していると判断されたこと、鍼・灸の持続効果も短くなっていることなどが考慮されたものである。

なお、右判定に当たり、原告を直接に診察することをせず、また、主治医からのカルテの取り寄せも行っていないが、従来の症状及び治療内容からすると、これらをするまでもなく、症状固定は明らかであると判断されたものである。

5  中野労基署長は、前項の判定を受けて、原告の傷病は最早これ以上治療の効果が期待できない状態にあると判断し、原告に対する療養補償給付及び休業補償給付の支給期間を昭和五八年三月三一日までとし、同日の満了をもって原告の傷病を治癒と認定し、同年三月三〇日付けで、「治ゆの認定について」と題する文書をもって原告に通知した。

6  ところで、労災保険法上の「治癒」とは、急性症状が消退し、慢性症状はあっても治療効果の期待できない場合、ないし、症状が安定し疾病が固定した状態にあるもので治療に有効に反応しない場合をいい、身体機能の完全性回復を意味しないから(このことは、治癒認定の際に障害が残っている場合には、右障害について障害補償給付が行われることからも、明らかである。)、中野労基署長又は新宿労基署長がした各不支給処分は正当であり、その取消しを求める原告の請求は、いずれも理由がない。

7  以上のとおり、中野労基署長がした治癒認定は適法であり、これが違法であることを前提とする原告の被告国に対する損害賠償の請求も理由はないが、仮に、そうでないとしても、原告の主張する損害は、一部本件不支給処分との因果関係を欠き、理由がない。

すなわち、賞与の支給については、訴外銀行が、労使間交渉により、災害補償規定を適用せず、基本給を算定の基礎とする支給額決定方法をとり、かつ、各労働者に対する査定率を乗じてその額を決定することとしたためであり、基本的には各労働者の査定評価に係る問題である。したがって、仮に本件不支給処分が違法であり、休業補償に相当する支給がされるべきであったとしても、使用者は、会社に対する貢献度その他を勘案して、独自の評価で査定率を定め得るものであり、原告が低率の査定評価を受けたことと本件不支給処分との間に因果関係はない。

第三  証拠〈省略〉

理由

《不支給処分の取消しについて》

一当事者間に争いのない事実

原告が、昭和三九年四月に訴外銀行に雇用され、それ以来、請求の原因1項のとおりの業務に従事してきたこと、その間、頸肩腕障害と診断されて療養を続け、昭和五四年五月一二日から休業するに至ったこと、中野労基署長が、昭和五五年九月一二日付けで原告の傷病を業務上の疾病と認め、昭和五四年五月一六日以降について休業補償給付及び療養補償給付を支給してきたこと、ところが、中野労基署長が請求の原因5項①ないし⑦記載の期間に係る請求について各記載の不支給処分の日付けをもって、また、新宿労基署長が同項⑧⑨記載の期間に係る請求について各記載の不支給処分の日付けをもって、いずれも、昭和五八年三月三一日治癒を理由とする不支給処分をしたこと、平成元年三月三一日の労働基準法施行規則の一部改正により、中野労基署長がした不支給処分は、新宿労基署長がしたものとみなされることになったこと、以上の事実は、すべて当事者間に争いがない。

二原告の症状の経過等

そこで、原告の症状の経過及びそれが昭和五八年三月三一日をもって治癒したといえるかどうかについて検討する。

1  中野労基署長が、昭和五八年三月三〇日付けの「治ゆ認定について」と題する書面で、原告に対し、「貴殿の症状について調査した結果、症状は概ね固定し、今後治療を継続しても明らかな医療効果は期待できないものと認められますので、昭和五八年三月三一日をもって治ゆとし、その後の給付を行わないこととしましたので、通知いたします。」との治癒認定の通知をしたことは、当事者間に争いがない。そして、〈証拠〉によれば、中野労基署長は、治癒認定を通知する書面において、「なお、治ゆの際障害が残っている場合は、障害(補償)給付請求書を提出して下さい。」と付記していることが認められるから、右通知にいう「治ゆ」とは、原告が頸肩腕障害を発症する前と同じ健康状態に戻ったことを意味する「完治」を指すものではなく、頸肩腕障害の急性症状が消退して症状が安定し、慢性症状は残っていても最早医療効果を期待することができない状態に至ったという意味での「固定」を指すことが明らかであり、それがまた、労災保険法の趣旨にも適合するところである。

なお、本件では、中野労基署長が、原告の頸肩腕障害を業務上の疾病と認め、継続的に休業補償給付及び療養補償給付を支給してきたのであるから、当事者間の実質的な公平及び「なおった」ことを要件とする労災保険法二二条の三の障害補償給付との権衡から、原告は、右疾病が存続していて療養の必要があることを主張、立証すれば足り、それが治癒(固定)していないことまでを主張、立証する必要はなく、むしろ、不支給処分を正当と主張する被告新宿労働基準監督署長において右疾病が治癒(固定)したことを主張、立証すべきものと解する。

2  発病から治癒認定までの原告の症状及び治療経過

〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 原告は、訴外銀行において、昭和四二年九月から約定振替係の業務に就いたが、ここで領収スタンプの押印、加算機の操作、複写伝票の作成などの作業を反復継続するようになってから、肩、腕、肘の痛みを覚えるようになり、自分で湿布薬を貼ったり、ビタミン剤を服用したりしたものの、医師の治療を受けることはなかった。その後、原告は、当座預金係で当座預金記帳機の操作や出納係で硬貨の運搬などの作業を続けたが、昭和四八年秋に至り、肩こりや右腕と腕の付け根の痛みのために右手で水道のコックも捻れないような状態となり、中野区内の病院で赤外線・マッサージ治療を受けるに至った。

(二) 昭和五一年三月、原告は、外国為替係に配属されたが、昭和五三年五月には、腕だけであった痛みが背中から腰に広がり、毎週一回ずつ鍼・灸の治療を受けるようになった。訴外銀行では、昭和五三年一二月から外為事務のオンライン切替えの準備作業が開始され、昭和五四年二月に切替えが完了したが、この間、通常業務と並行して講習や伝票の作成作業が行われ、仕事は繁忙を極めたため、昭和五四年一月に入ると、動悸が激しく、熟睡できず、肩こりも激しい痛みを感じるほどになり、同年四月末には、熱をもって腫れ上がるような肩こり、動悸があり、首の前と後ろに二本ずつ棒が入っている感じで、首が前後左右に動かせないというような状態になり、同年五月一二日から休業するに至った。

(三) 原告は、昭和五四年五月一二日、調布市内の病院で診察を受けた結果「頸肩腕症候群」と診断され、また、同月二四日に訴外銀行の診療所で「頸部筋々膜炎」と診断されたことから、訴外銀行が定める特別措置(訴外銀行の従業員に頸肩腕症候群等の職業性疾病が発症した場合、訴外銀行の指定医療機関で診療を受けた時に限り、業務上外を問わず、原則として一年間、賃金、療養費の全額を支払うというもの。)の適用を受けるようになった。その後、原告は、同月二九日に初めて大師病院で受診し、「頸肩腕障害・腰痛症」と診断され、それ以来、同病院に通院して治療を受けながら、併せて鍼・灸の施術も受けることになった。

なお、原告は、同年七月、東京慈恵医科大学で「頸肩腕症候群」と診断されたが、その後、大師病院に通院して訴外銀行の指定医療機関の診療を受けなかったことから、同年九月に前記特別措置の適用を除外されたため、中野労基署長に対し、業務上の災害を理由とする休業補償給付及び療養補償給付を請求し、その支給を受けることとなった。

(四) 昭和五四年五月から治癒認定を受けるまでの原告の症状及び治療状況等は、ほぼ別紙(2)記載のとおりであり、その間の各種検査結果は、別紙(4)「検査指数動向表」のとおりである。

(1) 右の治療状況等及び各種検査結果によると、原告は、昭和五四年五月二九日以降、大師病院で橋本医師の診察と治療を受けてきたが、その回数は、同年八月までは月に六ないし八回であり、同年九月から昭和五七年一〇月までの三年間は月に一、二回であり、昭和五七年一一月から昭和五八年三月三一日の治癒認定までは月に二ないし四回であった。

(2) 橋本医師は、毎週火曜日の午後半日をかけて頸肩腕症候群の患者を専門に診察治療し、その中でも難治性と思われる患者については、月に一回の特殊診療日(別紙(2)(3)の「治療内容」欄に「特診」とあるは、この特殊診療日における診療を意味する。)を設け、三か月に一度位の割合で、握力及び背筋力検査、CMI健康調査表による自律神経症状数検査、指尖脈波検査等の諸検査を実施すると共に、当該患者については、通常のカルテのほかに頸腕症候群特殊カルテ(以下「特診カルテ」という。)を作成していたが、原告については、難治性であるとして当初から右措置が採られた。

(3) 初診当時の主訴は、頸肩背腰部の疼痛であり、自覚症状は、頭痛、頸部回旋痛、肩背腰部のこり、右手背・足背のしびれ感、右腕脱力感、不眠症、耳鳴り、食欲不振等と多彩であり、他覚症状としては、頸肩背腰部・両上肢の高度の筋緊張、硬結、圧痛、頸部運動制限等があり、背筋力は相当に低下していた(頸部、腰部に外傷及び先天性の奇形による疾病、炎症性疾病、関節リュウマチ、退行変性による疾病等は認められなかった。)。これに対する橋本医師の指導は、休業の継続、毎日数回の規則的な頸腕・腰痛体操、週二、三回の鍼・灸治療であったが、昭和五七年一〇月ころまでは、自覚症状、他覚症状に若干の軽快、改善が見られたものの、治療の効果は不十分であり、かつ、持続時間も短時間であった。

生活面でも、当初は流動食しか受け付けず、夏でも一日中閉め切りで過ごすという状態で、その後、多少は改善されたものの、洗濯や炊事等の日常生活も不可能という状態が続き、運動療法や機能訓練等をするまでには至らなかった。

(4) 昭和五七年一一月ころからは、他覚症状として、頸背腰部の筋肉の緊張硬結があるものの、その程度は幾らか軽くなり、首の痛みも減少し、頸部の運動制限も緩和され、従前のような症状は次第になくなった。生活面においても、食事、洗髪、洗濯等の日常生活も出来るようになり、治療面においても、大師病院の体操教室に入ってストレッチ体操などの運動訓練を開始し、昭和五八年一一月から水泳訓練、昭和六〇年八月からサイクリングを開始するに至った。

(5) 橋本医師は、中野労基署長の依頼を受け、昭和五八年一月一一日付けの意見書を提出しているが、それによると、当時の原告の症状は、次のとおりであった(右意見書の提出があったことは、当事者間に争いがない。)。

「① 主訴 頸、肩、背、腰部のこり、倦怠感、疼痛。

② 他覚所見 頸、肩、背、腰部の筋緊張、硬結。

③ 症状の経過 症状はなおかなり不安定であるが、全体として改善されつつある。

④ 運動機能障害の内容 運動機能障害は認められない。

⑤ 今まで行ってきた治療の内容及びその効果 運動療法を主とし、月九ないし一二回の鍼・灸治療を行っている。

⑥ 鍼・灸施術を今後三か月継続して期待できる効果 諸症状はなお改善を期待できるが、鍼・灸治療の併用により、なお一層の効果が期待できる。」

また、鍼灸師である小室彰夫も、中野労基署長の依頼を受け、昭和五七年一二月九日付けの意見書を提出しているが、その内容は、次のとおりであった。

「(主訴及び自覚症) 1左右腕のだるさ及び動きの悪さ、2頭痛、眼痛、背部(特に肩甲骨内側)の痛み、腰部痛あり、3手足の冷え、4不眠等。

(依頼事項にかかる意見) 1主訴及び自覚症に同じ、2初療時に比べ頸部は楽になり痛みの出る回数が減り、手足のむくみ等が軽減し、背部肩甲骨内側の痛みは一進一退で、症候は施術後は軽減しているが持続性がなく、かなり重い障害である。3日常規則的な生活を今まで通りに確立し、体操及び運動療法及び施術を行えば症状改善の効果の可能性大。

(施術方針)  今後も鍼・灸(電気鍼)により、左右の腕、背腰部、頸部等の要穴に施術を行う。」

3  治癒認定以後の原告の症状及び治療経過

〈証拠〉を総合すれば、治癒認定から昭和六〇年一二月までの原告の症状及び治療状況等は、ほぼ別紙(3)記載のとおりであり、その間の各種検査結果は、別紙(4)「検査指数動向表」のとおりであることが認められるほか、更に、次の事実が認められ、これらの認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 昭和五八年四月から同年一二月までの診察及び治療の回数は、四月は五回、五月から一〇月までは月に二ないし四回であるが、一一月は九回、一二月は七回であり、昭和五九年一月から同年一二月までのそれは、一、二月は五回、三月から九月までは月に二ないし四回、一〇月は五回、一一月は二回、一二月は一回であった。

その間の他覚症状は、軽快の傾向はあるものの、依然として頸背肩腰部の筋肉の緊張が続き、自覚症状は、昭和五八年中は大きな変化がなく、むしろ、治癒認定による労災保険の打ち切りに加え、訴外銀行から休職期間の経過による昭和五九年三月付け自然退職の通告を受けたことなどから、原告は、精神的に動揺を来して愁訴が増加し、橋本医師の診察に際して、腹部・胸部の異常や動悸、絞やく感、息切れを訴え、顔面蒼白の症状を呈し、また、胆のう炎の疑いで検査を受けたりした。

(二) しかし、橋本医師は、全体的に見ると改善の傾向にあるとして、通院回数が増えてきていた昭和五八年一一月二九日、「頸肩腕障害。右症状かなり改善安定化し、一二月一日以降一定期間就労訓練の一環として通勤訓練可能と認めます。」と診断し、原告は、この診断を受けて同年一二月一日から通勤訓練に入った。この通勤訓練は、当初、週二日、一日一時間(当初は一〇分〜一五分)、当時の原告の勤務先であった訴外銀行永福町支店に通い、ロビーにおいて店内の雰囲気に慣れるというものであった。

昭和五九年一月になると、他覚症状として、背肩腰部の筋肉に緊張はあるものの、筋肉が柔らかい日もあり、正月休みには、長野県まで家族でスキーに出かけて快適な一時期を過した。しかし、通勤訓練に対する反応は良好とはいえず、原告は、橋本医師に対し、「非常に疲れる」「全身の倦怠感がある」「いらいらする」「眠気が強い」「めまいがする」などと訴え、診察に際して、動悸、頻脈、眼瞼のけいれんなどの症状を呈することもあった。

(三) 橋本医師は、このような状況のもとで、昭和五九年三月二七日、筋硬結の程度、範囲は共に減少しているとして、「頸肩腕障害。右症状さらに改善、安定化しつつあり、四月以降、適正な業務内容、職場環境のもとにおいて、週三回通勤訓練可能と認める。」と診断し、これに基づき、原告は、以後その回数を週三回に増やしたが、折から、訴外銀行の診療所の医師も、昭和五九年三月三〇日付けで、「頸腕障害・腰痛。頭記疾病のためなお愁訴残存するも、いわゆる仮出勤は可能と思われる。」と診断したことから、同年四月一日からは、一日二時間ずつ週三日出勤する職場復帰訓練を開始するに至った。この職場復帰訓練は、職場でリハビリのため実際に就労し、身体を勤務に適応させていくもので、この仮出勤に備えて、原告は、同年四月一日、訴外銀行の永福町支店から東京営業部代理事務係に配置替えとなった。

(四) 仮出勤開始後における自覚症状に特に変化はなく、原告は、橋本医師の診察に際し、疲労、全身倦怠、不眠のほか、いらいら、めまいなどを訴え、他覚症状も、背肩腰部の筋肉の緊張が続き、時には頸部の硬直もあったが、勤務時間は、同年八月からは一日四時間に、同年一〇月からは、橋本医師の診断もあって一日五時間となり、その後も、徐々に延長されていった(同年一二月からは週四日勤務となった。)。その後、昭和六〇年一月から昭和六三年一二月までの診察及び治療の回数は、ほぼ月に一、二回であり、当初は、自覚症状として、やや良好と調子悪いとが交錯し、他覚症状としては、主として、背腰部の筋肉の緊張が続いたが、やや緊張、軽度緊張というのも見られるようになった。

なお、原告は、昭和五九年三月末に、訴外銀行の診療所で健康診断を受け、健康管理区分B1の(3)、すなわち、三か月ごとに健康状態をチェックして健康管理をしていく必要があるとの診断を受けた。

(五) その後、昭和六〇年三月末に、訴外銀行から、今後通常勤務扱いにする旨の申入れがあり、原告は、不満ではあったがこの申入れを受け入れ、同年四月からは通常勤務扱いとなった。通常勤務扱いとなった後も、勤務時間は、同年四月からは午前一〇時から午後三時三〇分まで、同年八月からは午前一〇時から午後五時までと徐々に延長された。そして、同年一〇月からは一週間連続出勤となり、更に、勤務時間は徐々に延長され、昭和六一年七月二三日からは就業規則どおりフルタイム体制に入った。

昭和六〇年四月から同六一年一二月までの自覚症状は、疲労やだるさはあるものの、比較的に良好に経過し、他覚症状も、背部や肩の筋肉が緊張、軽度緊張、やや緊張とされたのが一二回あったが、柔らかいが七回あり、背筋力も、昭和六一年後半から目立って回復してきた。そして、昭和六〇年八月には、上高地、槍が岳、西穂高の縦走を行い、同年一一月には、丹沢、大山の登山、昭和六一年八月には、燕岳、槍が岳の縦走、昭和六二年八月には、白馬三山の縦走をするまでになった。

なお、原告は、昭和六一年一一月一二日、訴外銀行における健康診断の結果、六か月ごとに健康管理のためのチェックを行う健康管理区分B1の(6)に変更された。

(六) 原告は、昭和六〇年一〇月から一週間連続勤務に就いた後も、昭和六三年九月までは、週二日(月、木曜日)早退して鍼・灸の治療を続けてきたが、同年一〇月からは、治療に必要な場合にのみ随時早退をすることで足りるようになり、その回数も、月に五回から徐々に減らし、平成元年四月からは治療のための早退をしなくて済む完全就労体制に入った。昭和六二年一月から同年一二月までの間の橋本医師による診察時の症状は、他覚症状として、背部の筋肉の緊張が六回、やや緊張が六回で、柔らかいは全くなく、前年よりも悪化しているが、昭和六三年一月から一二月までの診察においては、緊張が六回で変化がないのに対し、前年にはなかった柔らかいが五回に増えた。

なお、原告は、訴外銀行の健康診断(人間ドック)で、昭和六二年八月六日、総合健康管理区分D3―普通勤務、処置不要の判定を受けた。

(七) 原告は、平成元年には、月一回ずつ橋本医師の診察を受けたが、その際の他覚症状は、背部の筋肉の緊張が三回、やや緊張が四回あり、柔らかいは二回に止まった。しかし、橋本医師は、同年一二月一二日、「頸肩腕障害。上記に対し、治療の結果、症状は著明に改善され、本年四月以降完全就労に復帰したが、その後も症状増悪を認めず、本日をもって治癒と認める。但し、再発防止のため業務が過重にならぬよう配慮を要し、また、年二回定期的検診を行うことが望ましい。」と診断した。それ以来、原告は、大師病院に通院していない。

三治癒認定及び不支給処分の違法性

1 前項に認定した事実によれば、原告の症状は、中野労基署長が治癒と認定した昭和五八年三月三一日の時点では、従前より軽減はしていたものの、他覚症状として頸背肩腰部の筋肉の緊張、硬結があり、自覚症状として、右各部の疼痛、倦怠感などがあったのであるから、発病当時の頸肩腕障害がなお存続しており、しかも、その症状自体は、次第に軽減しつつも、原告が休業補償給付及び療養補償給付を請求した全期間にわたって持続していたものということができる。しかして、中野労基署長が治癒認定をしたのは、原告が休業に入った昭和五四年五月から四年近くを経過した時点であって、当然に急性期の症状は過ぎていたと見て差し支えがない上、その間の症状に大きな変化はなく、特に治癒認定に近接した期間については、治療の方法、内容もほぼ定型化され、回数も少ない状態が続いていたのであるから、このような事情を前提とする限り、今後同じような治療を繰り返しても、最早、症状の改善を期待し得ない状況にまで達したものと解し得ないではなく、したがって、原告の症状は、右治癒認定の時点で、既に固定の状態にあったと見ることができないではない。

2 しかし、原告は、治癒認定の当時は未だ休業中であって出勤もしていなかったのが、引き続き橋本医師のもとで治療を受け、その指導に服しながら規則的な運動療法と鍼・灸治療を続けるうち、治癒認定から八か月を経過した昭和五八年一二月から通勤訓練を開始し、昭和五九年四月から職場復帰訓練に入り、次第に一日の勤務時間及び出勤日数を増加し、昭和六〇年四月から通常勤務扱い、昭和六一年七月から就業規則どおりのフルタイム体制となり、平成元年四月からは完全就労体制となったのである。

右のように、原告は、治癒認定から相当の長期間を必要とはしたが、休業状態から完全就労体制にまで漕ぎ着けたのであって、このような回復の原因としては、やはり、橋本医師のもとでの規則的な運動療法と鍼・灸治療がその効果を現したものと見るほかはない。すなわち、規則的な運動療法と鍼・灸治療が「明らかな医療効果」を発揮したことになるのであって、このことは、治癒認定に当たって「今後治療を継続しても明らかな医療効果は期待できないものと認められます。」とした中野労基署長の予測、判断が、結果的には誤りであったことを意味する。

3 もっとも、前記の認定事実及び特に原告の症状に関係のある各証拠によれば、原告の症状には相当に心因的と見られる部分があり(橋本医師も、証人尋問において、神経的部分や自律神経症的部分もかなりあると述べている。)、それが長期化の少なからざる要因をなしていると認められると共に、約一年四か月間という比較的短期間のうちに、通勤訓練から職場復帰訓練を経て通常勤務扱いを受けるまでに回復したことについては、治癒認定による労災保険の打ち切りや訴外銀行から自然退職の通告を受けて精神的に追い詰められたことが逆にプラスとなった側面のあることも、一概には否定することができない。

しかし、業務起因性があるといえるためには、業務が疾病の唯一の原因である必要はなく、その業務が相対的に有力な原因であると認められれば足りると解されるし、原告は、治癒認定後における治療継続の中で、明らかに頸背腰部等の筋緊張が緩和し、背筋力が改善しているのであるから、心因的要素は少なくないとしても、休業状態から完全就労体制にまで回復したのが、単なる自然的な時間の経過或いは原告の主観的な意欲の問題であるに止まり、規則的な運動療法と鍼・灸治療の効果とは無関係のものということはできず、ましてや、原告は、治癒認定の時点で既に出勤することも可能な客観的状態にあったということもできない。

四不支給処分取消し請求についての判断

右に見たところによれば、中野労基署長が治癒と認定した昭和五八年三月三一日の時点では、原告の症状は、客観的には未だ固定しておらず、なお治療の効果があって症状の改善を期待することができる状態にあったことになるから、かかる治療継続の効果に対する予測のもとにされた治癒認定は、結果的にその判断を誤ったことになり、したがって、他に症状固定の時期について主張、立証のない本件では、右治癒認定並びにその後に中野労基署長及び新宿労基署長が昭和五八年三月三一日治癒を理由としてした休業補償給付及び療養補償給付(新宿労基署長は療養補償給付のみ)の不支給処分は、すべて違法たるを免れないというべきである。

《損害賠償の請求について》

一当事者間に争いのない事実等

中野労基署長が昭和五八年三月三一日をもって治癒と認定したこと並びに昭和五八年一二月二日付け及び昭和六〇年八月二一日付けで右治癒を理由とする休業補償給付及び療養補償給付の不支給処分をしたことは、当事者間に争いがなく、右治癒認定及び不支給処分がいずれも違法であることは、前記認定のとおりである。

二中野労基署長の過失の有無

中野労基署長が、原告の疾病は未だ治癒していないこと、すなわち、症状固定の状態になく、なお治療の効果が期待できることを知っていたものとは、本件の全証拠によっても認めることができないので、以下、中野労基署長に過失があったかどうかを検討する。

1 前述したところによれば、原告の症状は、治癒認定に伴う精神的なものを別とすれば、これに近接した前後において大きな変化がなく、それまでの約四年間にわたる治療の内容、その効果等からすると、少なくとも治癒認定の時点では、原告の症状は最早改善を期待することができない状態にまで立ち至ったと判断しても無理からぬものがあり、まして、治癒認定後における治療継続の効果を予測し得なかったとしても、それが相当の期間の経過に係わるものである以上、特に非難するには当たらない。

2 もっとも、前に認定したとおり、橋本医師は、中野労基署長に提出した昭和五八年一月一一日付け意見書において、「症状の経過」を「症状はなおかなり不安定であるが、全体として改善されつつある。」とし、「鍼・灸を今後三か月継続して期待できる効果」として「諸症状はなお改善を期待できるが、鍼・灸治療の併用により、なお一層の効果が期待できる。」と述べ、また、小室鍼灸師は、同じく中野労基署長に提出した昭和五七年一二月九日付け意見書において、「日常規則的な生活を今まで通りに確立し、体操及び運動療法及び施術を行えば症状改善の効果の可能性大。」と述べていたのであって、中野労基署長がこれらの意見書を採用しなかったことをどのように評価するかが問題となる。

しかし、〈証拠〉によると、橋本医師は、中野労基署長に提出した昭和五七年六月七日付け診断書において、「ひきつづき鍼・灸治療、運動療法及び通院加療を要す。」とした上で、「今後六か月間の療養等の見通し」として「通院治療により症状改善を期待できる。」と診断していたことが認められるところ、それから約七か月後に提出された右昭和五八年一月一一日付けの意見書においても、「症状はなおかなり不安定であるが、全体として改善されつつある。」というに止まるもので、七か月前の予測どおりには治療の効果が上がっていないか、上がっているとしても極めて微々たるものであったことがその記載から明らかであるし、右意見書で述べた今後三か月間の鍼・灸継続の効果も、実際には、診察、治療の回数がそれまでよりも増加して予測どおりにならなかったことは、前述した原告の症状の経過に照らして明らかである。したがって、橋本医師の昭和五八年一月一一日付け意見書の記載は、七か月前と同じ内容を繰り返したに等しいもので、右意見書があるからといって、これをそのとおりに受け止めて症状が改善されると期待するのは困難というほかはない。また、小室鍼灸師の述べるところは、極めて抽象的なもので、治療継続によって具体的にどのような効果が生ずるのかが明らかではない。

〈証拠〉を総合すれば、業務に起因して生起する頸肩腕障害ないし頸肩腕症候群については、その発生要因が極めて複雑であることもあって、病理機序は十分に解明されているとはいえず、その病像も、整形外科の立場と産業衛生的見地とでは理解の仕方が相当に異なっており、治療の手段、方法、期間などについても定まったものがない状況であることが認められ、加えて、労災保険の実務においては、頸肩腕症候群の業務上外の認定の指針として、「個々の症例に応じて適切な療養を行えば、おおむね三か月程度でその症状は消退するものと考えられる。」とされ(昭和五〇年二月五日、労働省基発第五九号通達)、また、業務上災害に対する鍼・灸の施術に係る保険給付については、原疾患の後遺症状の改善又は一般医療との併用による運動機能等の回復のため、医師が特に必要と認めた場合に、初療の日から九か月以内に限って保険給付の対象とすることを原則とし、施術効果がなお期待し得るときは更に三か月を限度に延長するものとされていたこと(昭和五七年五月三一日、労働省基発第三七五号通達)は、当裁判所に職務上顕著なところである。

そうとすると、右のような頸肩腕障害ないし頸肩腕症候群を取り巻く医学の状況及び労災保険の実務の取扱いのもとでは、中野労基署長が、橋本医師及び小室鍼灸師から提出された前記のような内容の意見書を採用することなく、鍼・灸治療を伴う原告の治療について、最早その効果がないと判断したことは、右当時の判断としては止むを得ないもので、それが結果的に誤りであったからといって、その過失を問題とするのは相当でないというべきである。

なお、原告の主張には、右後者の通達の合理性を否定し、中野労基署長は右通達及びこれに関する事務連絡を形式的に適用したかのように非難する部分があるが、前記認定によれば、原告に対する鍼・灸治療を含む療養補償給付の支給期間は、昭和五四年五月一六日から治癒認定までの三年一〇か月余に及んでいることが明らかであるから、右非難は当たらない。

3  更に、〈証拠〉によれば、中野労基署長は、昭和五八年二月七日に東京労働基準監督局において開催された東京地方労災医員会議に「要協議事案」として検討を依頼し、その判定結果を受けて治癒認定の判断をしたもので、その手続にも特に咎められるべき点はないことが認められる。

なお、原告は、東京地方労災医員会議の判定に関連して、構成員五名のうちには頸肩腕障害についての治療経験、とりわけ、原告のような症度V度の難治性頸肩腕障害の治療経験を有する者がいないこと、右会議において判断の基礎となった資料も、中野労基署長が作成した個人別判定表のみで、原告の直接の診療はもとより、診療の開始から判定時までの症状の推移等も全く検討されていないなどとして、その判定の不当性を強調する。しかし、右各証拠によれば、東京地方労災医員会議は、労災保険法等の規定による災害補償に係る事務のうち医学に関する専門的知識を要するものの適正かつ迅速な処理に資する目的で、昭和五五年一二月二三日付け労働省訓第一七号「労災医員規程」等に基づいて設置された常設の協議組織であって、東京労働基準監督局長の委嘱を受けた整形外科二名、公衆衛生一名、脳神経外科及び外科各一名の合計五名の医員によって構成されているもので、頸肩腕障害の治癒認定をする適格、能力がないとはいえず、また、中野労基署長が検討を依頼するに当たっては、橋本医師及び小室鍼灸師から提出された前記意見書を含む関係の資料を事前に提供していることが認められるから、その過程に中野労基署長の過失を伺わせるような事情のあることは認められない。

また、前述した原告の症状の経緯に照らせば、たとえ、中野労基署長が、労災保険法四七条の二、四九条に基づき、指定医をして直接に原告の診察を行わせ、或いは、原告の主治医である橋本医師にカルテ及び特診カルテの提示を求めたとしても、これによって、将来の長期間における治療の効果を的確に予測、判断することができたかどうかは疑問であるから、中野労基署長がこのような手続を採らなかったからといって、過失があるとはいえない。

4  ところで、原告が不法行為に当たると主張しているのは、中野労基署長が昭和五八年三月三一日をもってした治癒認定と昭和五八年一二月二日及び昭和六〇年八月二一日付けの不支給処分であるが、特に後者の不支給処分の時点では、原告は、治癒認定当時とは異なって症状がかなり軽減し、訴外銀行から通常勤務扱いを受けるまでに至っていたこと前述のとおりであるから、中野労基署長としても、実際には症状が変動していて固定していなかったことを知り得た可能性がないではない。

しかし、〈証拠〉によると、中野労基署長宛ての療養補償給付の費用請求書に橋本医師が記載した原告の傷病経過の概要は、昭和五八年四月から昭和六二年一二月までの約五年近くの間、すべて「加療により症状は徐々に軽減するも、ひきつづき加療を要す。」という同じ表現の繰り返しで、全く変化がなく、通常勤務扱いが可能となる程度まで症状が軽減したことについては何ら記載されていないことが認められるから、中野労基署長が、後者の不支給処分の時点で、症状固定の有無について改めて検討し判断をしなかったからといって、特に問題とするには当たらない。

三損害賠償請求についての判断

以上のとおりであって、中野労基署長がした治癒認定及びこれを理由とする不支給処分については、不法行為の原因となるような過失があることは認められないから、原告の被告国に対する損害賠償の請求は、その余の点につき判断するまでもなく(なお、〈証拠〉によれば、訴外銀行が定める災害補償規定には、「この規定の適用は人事部長が決定する。」とあるのみで、労災保険法による休業補償給付又は療養補償給付の支給決定の有無との連動を伺わせる規定はないから、その適用の可否は、指定医療機関の診断等の災害補償規定が定める手続のもとで、訴外銀行が独自に判断することができるものというべく、したがって、中野労基署長がした治癒認定及び不支給処分と訴外銀行の休業補償の打ち切り及び賞与の減額査定による原告主張の損害との間には、そもそも因果関係がないと解される。)、理由がないというべきである。

《結論》

以上によれば、原告の本件各請求は、承継前の被告中野労働基準監督署長及び被告新宿労働基準監督署長がした労災保険法による療養補償給付等の不支給処分の取消しを求める部分は理由があるので、これを認容すべきであるが、被告国に対する不法行為を理由とする損害の賠償を求める部分は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官太田豊 裁判官草野芳郎 裁判官高田健一)

別紙〈省略〉

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